EVENT/REPORT 19.08.20

「地域のダイバーシティは少しずつでも進めていける!」。七転び八起き酒場 第7夜目・岩手県釜石市オープンシティ推進室 石井重成さん

地域のソーシャルビジネスの最前線で活躍するゲストを週替わりで迎え、お酒を飲みながら語り合うNPO法人ETIC.でのプレミアムイベント「七転び八起き酒場」。講演会では聞けないようなソーシャルイノベーターたちの失敗談とそれらを乗り越えてきたエピソードから、地域社会における社会課題解決の本質を学びます。

第7回目のゲストは、岩手県釜石市総務企画部オープンシティ推進室室長の石井重成さん。大学を卒業してコンサルティング企業に勤めていた石井さんは、2012年夏に気仙沼市に足を運んだことをきっかけに復興に関わることを決め、同年には釜石の市役所に任期付職員として入庁。7年目になる現在も地方創生戦略の全般を担当されています。現在は推進室において、仲間を集め資金調達をし、年間2億円規模のソフト事業に取り組んでいます(そのうちの8割強は外貨による事業で、都市部のビジネスパーソンを相手にした仕事が多いとのことです)。

気になる1転び目は、釜石市役所に入庁直後につけられてしまったという「アジェンダくん」というあだ名のエピソードから。それまで勤めていたコンサルタント企業での用語が抜けず、周囲の「次第」という言い方に合わせられずに「アジェンダ」と言い続けていたらこんなあだ名をつけられてしまったと笑います。

「当時は26歳で、被災地で出会った人々の熱に触れ、“今ここにいなかったらどこにいるんだ”という思い込みで被災地に行くことに決めたんですよね。次の日には勢い余ってボスに会社を辞めると伝えてしまい、どうすれば行けるんだと考えていた状況で、復興支援に取り組むNPOの紹介で釜石市役所を紹介してもらって。とりあえず自分ができそうなことを紙に書いて持っていき、面談して受け入れてくれたのが釜石市でした。

仕事が元々あってポストに就いたわけではないので、当然周囲からしたら誰!?みたいな感じですよ。震災後に民間セクターから入庁した一人目でしたし、あのカタカナの多い変な若い奴は何なんだという。そこでついたあだ名がアジェンダくんですから、完全に滑ってます。最初の入りで失敗してるんです(笑)」

仕事のなかった押しかけの当初は、とにかく周囲の手伝いに、毎日のように行われる説明会にと奔走したと語ります。

「当時は毎週のように住民説明会をやっていて、ひたすら手紙を封筒詰めしたり、椅子を並べたり、雨の日の交通整理だったり、まぁ、何でもやりました。その中でちょっとでも求められることを探して形にして、効率が悪い部分はアウトソースを図っていったら段々と信頼されるようになりました」

2転び目は、気づきも含めたちょっとした失敗談を。前職のノリのまま市役所の中で一人だけ席にバランスボールを導入したところ、多くの人から怪訝そうな顔をされつつ、反応には3種類あることに気づいたそうです。世の中には1)新しいものストレスに感じる層、2)オープンマインドで新しい挑戦の仲間にできる層、3)最初に壁があるけれどその壁を超えれば仲間になり得る3番目の層があると感じたのだとか。「全体の2割が動けば物事は変わると言いますが、2と3のタイプの人をこれから積極的に仲間にしていけばいいと思えたんですよね」と語ります。

3転び目は、官民一体の復興まちづくりを推進する「まちづくりの調整役」として作った釜石リージョナルコーディネーター(釜援隊)の試行錯誤のエピソードを。
今でこそ地域で“当たり前”の存在になりつつある釜援隊ですが、当初は、釜援隊という覚えやすいネーミングと、地域コーディネーターという分かりにくい業務内容が相まって、何をやっているかわからないと言われ続け、数年間は理解を得るために悩み抜いたのだそう。初期の頃は、市民を交えた活動報告会をやったり、市の広報誌で情報出ししたり、災害FMで毎週30分のラジオ番組をやったり(この業務が大変すぎて、釜援隊が仕事なのかラジオが仕事なのか分からなくなったこともあったそう・・・笑)少しずつ実績を積み重ね、何とか信頼を得てきたと語ります。

4、5転び目には、復興支援の助成金で人材育成の仕組みを都市部企業と協働してつくったところ、成果は出ていたのですが、助成金が無くなってそのPJが一瞬にして終わってしまったというエピソードを。そこから、地域が主体となって中間支援機能や団体を育てなければいけないと考えるようになったと言います。

6転び目は、ひょんなことから地方創生室長に抜擢されることになり、50代の部長職の皆さんと幅広い議論を重ね、市の戦略全体をまとめる立場になってしまったというエピソードを。「それまでの“ゲリラ戦”から、急に“正規軍のリーダー”になったような感覚でした。当時はまるで四面楚歌のような感覚だったので、この時期にだけは戻りたくないですね(苦笑)。でも、本当にたくさんのことを学ばせて頂きました」としみじみ語ってくれました。

さて、残りの7転び目+αもそれぞれが印象的なエピソードだったのですが、実は最初のバランスボールから6年後、改めてバランスボールを導入したら役所内の反応がずいぶん好意的な方向に変化していたのだそう!「当たり前のように話しかけてくれたり、“自分もボールに乗る”という職員が出てきたり。ダイバーシティは徐々に進められるものなんだと感じました。嬉しかったですね」と笑って教えてくれました。

「未来を予想することはできないから、自分の心の声に従うだけ」と言う石井さんですが、いつしか、少なくとも復興期間10年は釜石にコミットし、自分らしく釜石に関わり続けようと思うようになったそう。この続きが気になる方は、ぜひ釜石に足を運んでみてくださいね!