田舎の贈与経済でクリエイターの卵を育てる 〜Creative Hubプロジェクト〜
PROJECT
田舎の「あげすぎ」「もらいすぎ」の関係性を可視化する、贈与経済の実験
コロナ禍で活躍の場を失い、孤立しているクリエイターの卵たち。彼らに「あげすぎ」「もらいすぎ」の田舎の豊かさを届け、存分に活動に打ち込んで欲しい。そんな思いを込めた贈与経済の実験が、ローカルベンチャー協議会で繋がった宮城県石巻市の合同会社巻組 渡邊 享子さん、島根県雲南市を拠点にコミュニティナースの活動を展開する矢田 明子さん、NPO法人ETIC.押切 真千亜の3人からスタートします。この記事では、プロジェクトがスタートした背景、描く未来を、3人の鼎談形式でお届けします。



INTERVIEW
コロナ禍で孤立しているクリエイターたちに、田舎の豊かな関係資本で生活を立て直してほしい
この「Creative Hub」構想が渡邊さんの中で生まれた背景を教えてください。
渡邊さん(以下、渡邊):新型コロナウィルス感染拡大によって、今までのビジネスモデルだけでは難しい局面がある中で、石巻で繋がっているプレイヤーたちは「贈与」「恩送り」などお金を介さない新しい価値交換のあり方を意識し始めているように感じています。日本、特に都市部では等価交換が当たり前になっていますが、「あげすぎたり」「もらいすぎたり」してもお互いに「ありがとう」と素直に受け取って何となく帳尻を合わせて暮らせるじゃないかと、少なくとも石巻の友人たちは体感し始めているように思うんです。
一方で、巻組がこれまで支援してきたアーティスト・個人事業主・クリエイター、それらの卵の大学生たちの中でも現在都会で頑張っている人たちが、留学が中止になったり収入の機会を失ったりと孤立して困っている状況で、「石巻は豊かな関係資本があって支えがあるから大丈夫だよ。こっちにおいでよ」といった気持ちになったんですよ。「あげすぎ」「もらいすぎ」「お互いさま」といった、恩送り・おせっかいが基盤の世界で、いったん自由になったらいいんじゃないかと思ったんです。
顔が浮かんで、あげたいからあげる。豊かで不均衡な価値の贈り合い
石巻には、具体的にどのような「あげすぎ」「もらいすぎ」があるのでしょうか。
渡邊:「めかぶが余って、なんとなく私(渡邊)の顔を思い出したから事務所に行って勝手に冷蔵庫に入れといたから!」といったこともありました。事務所の鍵を開けておいたら盗まれるんじゃなくて増えていた、みたいな(笑)。先日もインターン生が商店街のおじちゃんから古いタイプライターをもらっていましたし。こうした贈与は日常的なもので、あげる側は見返りを求めているわけではなくて、あげたくてあげている感じです。

この不均衡な価値の贈り合いは田舎ならではなのかもしれませんが、石巻は被災地なので、日常が当たり前ではないという感覚が根付いていることも影響しているのだと思います。等価交換でインフラが整備されて、通勤して給料を得るのが当たり前じゃない世界を体験したからこそ、相手の顔を思い出して困っていたら余剰を渡そうという贈り合いが日常的に成り立っているなと思いますね。
押切:そうした贈り合いは、私の地元の秋田でもありましたよ。ご恩は3倍返しするものだと言われて育ちましたし、何代も前の先祖によくしてもらったからとよくしてくれる人たちも周りにいました。今すぐ等価交換する必要はないから、返せるときに返せばいいというのが地元の考え方でした。
渡邊:自分のところで価値が止まらない感覚なんですよね。お互いに顔の見える関係の中で生きているからという理由もあると思うので、もしかしたら都会でも場所によっては普通に行われているのかもしれないのですが、地方の方が顔が見えやすいということだと思います。
可視化されていないだけ。ときには貨幣経済よりも力強さを発揮する贈与経済
矢田さんと押切さんは、なぜこのプロジェクトを一緒に進めることにされたのでしょうか。
矢田:享ちゃん(渡邊さん)が好きだからね(笑)。あとは、彼女が語るリアルは地方にはすごくあって、信頼や利他性を行為に移したことで生まれた価値を体感している人はたくさんいると思うんです。正直数百万円の融資を得た人よりも贈与経済で支えられている人のほうが結果的に形にしていくことが周囲ではざらに起きていて、これは地方の共通項だなと。私の関わる事業も、地域の人たちから金銭的サポートよりも贈与経済で押し上げられてきたという実感があって。一方で、それは可視化されているわけではないので、このプロジェクトでそこを可視化していけたら色んなものが次々と生み出されるだろうなということが実感として分かったんです。でも享ちゃんは、都会の人にこの構想を話したら「クレイジーですね」って言われたことがあるんでしょう?
渡辺:そうなんだよね。よく言われるのが「何のために寄付するんですか? 寄付を受けた人はどうなるんですか?」で。リターンを作らないと寄付なんて集まるはずがないというのが市場経済の前提なんですよね。
矢田:全然クレイジーじゃなく事実としてあって、豊かなものだと思っているんだけれど、想像がつかないんだろうね。まずは実感している人たちで、可視化していければいいよね。
渡邊:そうそう、課題意識よりは純粋に可視化がおもしろそうだなと思っているんですよね。
押切:私は2人が始めたところに後から合流しました。3月ごろ世界中からおよそ1800人もの青年海外協力隊員たちが帰国するというニュースを聞いて、これからきっと経済や雇用が一層悪化して、非正規雇用者を含め意欲と能力のある母集団が市場にあふれることになるだろうと危機感を覚えたんです。その一方で、これまで出会ってきた地域の事業者さんたちのあり方を考えると、それぞれ転換は求められても、地域の人々の暮らしに直結するゆえに単純に首を切るような生き残り方はありえないだろうと思って。そうした人の暮らしが守られる事業のあり方がもっと広がっていけばいいし、市場にあふれた人材を地方につなげていったり、セーフティーネットも作っていかなくてはと思っていたときに2人の話があって。
今回、都市部がどれだけ災害に弱いかも、地方が都市部に生きる人たちのセーフティーネットになっていることも多くの人が実感したのではないかと思うんです。これからは仕事も、誰かがきちんと準備して募集されるようなものではなくて、コミュニケーションの中から生まれるということがどんどん起こりそうな気がしています。
集まったものを前に、集まった人が自由な発想で使える倉庫を作る
地方の贈与経済の豊かさを、具体的にはどのように可視化しようと考えたのでしょうか。
渡邊:巻組は住宅賃貸経営がメイン業務なので、住人の皆さんから家があることで救われ次のキャリアにつながることがあることと伺って、住まいを生活のベースと捉え直すことで何かできることがないのかと考え一定期間家賃無償のシェアハウス「アシュラム」を始めることにしました。さらにアシュラムの入居者困った人たちに宛てて寄付されたものを保管しておけたり、彼らの制作や発表の場になるような倉庫を作ったらいいのではないかと考え、駅から徒歩5分の、震災以降誰も使っていなかった文房具屋の倉庫を借りました。こうした物件自体がCreative Hubなんじゃないかと感じましたし、一目見てスタッフと「ここだ!」と盛り上がったくらい、かっこいい倉庫なんですよ。

矢田:私には作れないから、とりあえず借りました! 雲南市の山の上にある築100年の木造建築の学校を丸々一棟。この校舎を建て直す話が出たとき、元卒業生の地域に住むおばあちゃんたちが有志で2000万円を集めて、潰したくないと山の上に移築した学校なんです。この贈与経済のプロジェクトにぴったりな場所だなと思って。管理人のおじいちゃんたちにもプロジェクト内容を伝えたら、毎日朝ごはんつけてあげるよって言ってくれました。地元のお米と手作り味噌の味噌汁と、おばあちゃんが作った地の野菜のお漬物とかだそう。
渡邊・押切:すごい!!

渡邊:これら倉庫を拠点に、困っていたり頑張っている子がいることに対してどんなギフトが集まるか実験できることが楽しみです。オンライン授業になったけれどパソコンがない子のためにパソコンが寄付されてもいいかもしれないし、画材や廃材がきてもいいかもしれないし、情報でもいいかもしれない。足りないものがあることを知って集まってきた物たちは、欲しい人が持っていけるような仕組みにしたいです。活用イメージは欧米のクリエイティブリユースの拠点で、毎週ドネーションしているのですが、集まったものに対して集まった人が自由に想起して貰っていく様子がおもしろいなと思っていて。
あとは、例えば蟹があるとCreative Hubのホームページに掲載したら、「蟹が欲しいから手伝いにいきます!」といったことがあるといいですよね。そうしたことが豊かだと思う人たちが地方に集まってきてくれたらいいし、富める人も貧しい人も来てくれたらおもしろいなと思います。



THOUGHT
LOCAL R&D CENTER への想い
有限の資源を奪い合うのではない、無限の資源を作り合う実験
渡邊:最近贈与経済について考えながら、巻組が扱う“おもしろい不動産”って何なんだろうと改めて考え直していたんです。一般的には不動産の価値は立地や年数で決まるのですが、巻組はできるだけ立地が悪くて直す余地がある物件を格安で購入して、修繕・運用するビジネスモデルです。それなのに、先日一般的な不動産屋さんでも流通しそうな好条件物件の相談をいただいて、最初は今買い取る体力がないからとお断りしたのですが、それでも巻組に話を聞いてもらいたいとおっしゃってくださった大家さんがいらっしゃったんですよ。そのときに、私たちが商材にしてきたのは「地域のためにこの物件を使ってほしい」という大家さんの善意と贈与だったんだと気づいたんです。
矢田:すごく共感します。私たちの業種は不動産でもないのに、先日は大きな古民家と裏山をもらってほしいというお話をいただいてしまって。裏山は、管理が想像つかなくてどうしようかと思っていたけど、普段から何かあれば手伝うよと言ってくれている地域のおじちゃんたちに声をかけてみたらいいのかな。
渡邊:仕事ができそうな山があって、仕事が欲しそうな人がいるなら、とりあえずマッチングしてみたらいいと思う。巻組でも最近扱い始めた物件の裏山が雑木林で困っていたんだけど、山の上に住んでるおじちゃんから「草刈り得意だから、とにかく自分にやらせてくれないか」と急に電話がきて。大家さんは後々請求されたらどうしようと警戒していたけど、実際やってもらってみたら本当に草を刈りに来ただけでした(笑)。
震災後のボランティアの中にもニートの方が多くいらっしゃって、とにかくやれることがあって役に立つのならって貯金を切り崩しながらやってきた人が多かった印象があります。ただ役に立ちたくてこれだけ人が動くのかって驚きましたね。今都会では交換するのが当たり前で、そしてそれが価値平等であるのが当たり前だという強迫観念に囚われ過ぎていて苦しくなっているところはあるんじゃないかと思います。
押切:今回の実験はSDGsにも直結しているように感じます。一人勝ちとか、自分たちだけが安全に生きられるといった幻想はないし、世界中が繁栄していなければ自分の平和も繁栄もないといった相互依存の世界観。
渡邊:限られたパイを奪い合う話ではなくて、そもそも限られていないし、お金を払えない人は別の形で提供したらいいし、資源が余っている人は好きなだけ払ったらいい。そうしたら世界が平和になるとと思うんですよね(笑)。それなのに全員を同じ土台に載せて等価交換をしなきゃいけないとなると、途端に平和じゃなくなってくる。
矢田:有限の資源を奪い合うとは反対に、この実験は無限の資源を作り合う感じに近いよね。贈与経済のあり方で人が関わり合っている限りは、資源は無限。
渡邊:そういえばこの前知人が言っていたんだけど、ヒラメが大漁で値段下がっていた時期に近所の人にヒラメをお裾分けしても、いつもと同じように喜ばれると。それが米になって帰ってくるときもあるし、何も帰ってこないこともあるけど、ヒラメはヒラメでいつでもおいしくて、流通させようとしない限りヒラメの価値は絶対なのだと。この実験はそういう話なんじゃないかなと思ったんですよね。そうした次元において、何か有限のものを奪い合う必要はないんですよね。人材もそういうことなんじゃないかなと。
矢田:すごく分かる。あとは、おじいちゃんにこれを手伝ってよと役割を見出すと、労働力を提供したうえに魚を持ってきてくれるとか。挙句この家をやる! みたいなことも起きる(笑)。
渡邊:あるある、くれすぎるというか(笑)。それはおかしいことじゃないんだよね。
矢田:おじいちゃんたちを見てると金銭的な見返りを別に求めていなくて、喜ばせたいとか、あげることによっておじいちゃんたちの中にもなぜか喜びが生まれているんですよね。
押切:それが実感としてわかると、人に頼ることもできるようになるよね。
渡邊:そうそう、本当にそう。
甘え上手でわがままな人が増えればいい
このプロジェクトを通して、支援したクリエイターの人たちにこんな風に幸せになってほしいといったビジョンはありますか?
渡邊:私自身は、甘え上手でわがままな人を育てたいと思っています。困ったときに「今何も持っていないんで困っています」と言うことができて、相手がしてくれようとしていることを素直に受け取れる力、そして自分の違和感を無視しない力を育んでほしいです。これらが組織型社会でタブー視され過ぎていて、生きづらくなり過ぎていると思うんです。
矢田:生きることに対する自己責任論が強すぎるなと思いますよ。特に学生ら若い子たちと会うと、迷惑をかけちゃいけないという感覚が強すぎるなと感じます。この世に生を受けた時点で迷惑も心配もかけてないわけないじゃないですか。思考も振る舞いもそう思い込める範囲で生きているということなんですよね。
だから迷惑の定義を、「煩わしいが嫌ではないもの」に落とし込みたいなと思います。迷惑をかけることへの恐れは、根本的には「嫌われたくない」という気持ちだと思うので。そこの定義が変われば、迷惑をかけることがもうちょっとカジュアルになるんじゃないかなと。
押切:そこが解放されると、感情的にも解放されますよね。人間性がやっと保たれる、取り戻せる。
矢田:それを可視化するのが、この実験なんだよね。
渡邊:貨幣経済を否定するというわけではなく、自立して持続的に生きていけるあり方のオルタナティブを示せるといいですよね。来てもらう子たちにはお金じゃない方法で家賃を払ってほしいと伝えるつもりで、そうすると自分は何を拠出できるか真剣に考えるので、それが自己分析になって次のステージにつながると思うんです。贈与する方も、金銭的な寄付ではないので何なら贈れるのか必死で考える時間を持ってもらえることが価値なのかなと思います。